インド哲学って面白い!人間の構造や幸せな生き方を表した「人間馬車説」とは?
こんにちは♪
最近ヨガ講義の中で教えて頂いた「人間馬車説」が、とても興味深かったのでご紹介したいと思います!
きっと人によって感じることが違うはず。。。
知らないという方のために簡単に解説してみましたので、気晴らしにぜひチェックしてみてください。
インドの聖典に出てくる「人間馬車説」とは?
人間馬車説とは、「ウパニシャッド」というインドの聖典に書かれている一説で、馬車の仕組みを例にして人間の構造や幸せな生き方について説いたものです。
●馬車の各部位が表しているもの
まずは、馬車の各部位が人間のどの部分を指しているかを解説します。
とても簡単に言うと下記のように表現できます↓
・馬車に乗っている主人:魂
・馬車:身体
・馬車を操縦している人・御者:人間性
・手綱:嬉しい、悲しい、楽しい、怒りといった、刻々と移り変わる感情
・馬:触覚・聴覚・味覚・視覚・嗅覚といった5感、足・手・口・肛門・生殖器といった身体の働き
ヨガ的に言うと…
・馬車に乗っている主人:真我(アートマン)
・馬車:身体
・馬車を操縦している人・御者:精神
・手綱:感情
・馬:感覚器官・運動器官
アーユルヴェーダのパンチャコーシャで表すこともできます。
・馬車に乗っている主人:アートマン
・馬車:生気鞘、食物鞘
・馬車を操縦している人・御者:理知鞘、歓喜鞘
・手綱:意思鞘
・馬:食物鞘
※アーユルヴェーダ5鞘については、こちらの記事で詳しく解説しています。
「心が変わると身体も変わる☆アーユルヴェーダから学ぶ「人間5鞘論」とは?」
●馬車が動く仕組み
馬車は、御者が手綱を引いて馬をコントロールすることで動き、馬車に乗る主人を目的地へと連れていくことができます。
言い換えると、精神が感情を操縦して5感や行動を制御することで、魂を包んでいる身体を正しい方向へ導くことができるということです。
聖典が示す正しい馬車の操縦(理想的な生き方)とは?
人間馬車説から読み取れることは2つあります。
●すべては繋がっている
一つは、主人・馬車・御者・手綱・馬はすべて連動していて、馬車を動かすためには、それぞれが役目を全うしなければならないということです。
これは言い換えると、魂・身体・精神・感情・感覚・運動は互いに繋がっていてどれ一つ欠けることが
できないということであり、生きるためにはすべてを調和させることが不可欠だということです。
●馬車を正しい道へ導く
もう一つは、御者の行動次第で、馬車の行く先が変わるということです。
御者が手綱をどのように扱うかによって、馬の行動が変わり、その結果、馬車とそれに乗車している主人がたどり着く行場所も変わってくるということです。
これは言い換えると、精神が感情をどのように扱うかによって、5感の反応や行動の仕方が変わり、その結果、魂とそれを囲っている身体の行き先、つまり生き方が変わるということです。
馬車が通る道には、様々な誘惑があります。
ご馳走、お金、宝石、お花といったモノや、名声、癒やし、勝利、快楽といったコト、また近道や楽園なども周りに見えるかもしれません。
しかしそれらの誘惑に振り回されず目的地にたどり着くためには、御者はしっかりと手綱を締めて
馬をコントロールし、馬車を本来向かうべき方向へ導く、それこそが理想的な生き方であり、幸福への道だとウパニシャッドでは綴られています。
またそのように精神を制御できるようになるための修行がヨガであるとも説かれています。
「人間馬車説」について感じたこと(とても個人的な意見)
この人間馬車説を教えて頂いた時、とても分かりやすく素晴らしい比喩で、改めてインド哲学は興味深いなぁと感動しました。
また、これまで自分のものでありながらも手に負えないと思っていた感情や行動は、自分と繋がっていて、他の誰でもない自分自身のものなのだと思えて少し安心しました。
精神についても、もちろん鍛錬が必要であるものの、制御不可能なものではないということに、少し希望のようなものを感じることができました。
一方で、馬車の道で出会う“誘惑”はそんなに悪いものかなぁ?疑問も湧きました。
(知りたいという)誘惑があったから、世界は始まり動き出したとも言えると思うのです。
もちろん、貪欲になりすぎることは幸せではないと思うのですが、誘惑があるからこそ、新しい発見があり、他者を知り、自分を知ることができるし、それが最終的には“自分にとって本当の幸せとは何か?”の答えを見つけることにも繋がるのではないかな?
誘惑を否定したくはないな…と個人的には思いました。
皆様は、この人間馬車説を聞いてどのように感じますか?